「信じるも信じないも、それぞれの勝手だから細かいことを突き詰める必要がないのでは?」
よくDTさんが議論の最後の方に言われることですが、
正直ズレてる気がしてなりませんので書いてゆきたいと思います。
個人が「何を」信じようが信じようとしないかは自由だというのは、全く正しく正論だと思います。
ですが、他の方を勧誘するというのはいかがでしょうか?
そこには説明者責任があります。
今回は、意味のわからない話になりますが、「信じる」の裏面ということを書きます。
全てのことではあるのか知りませんが、
コインと同じように、極端なものには必ず裏面というものが存在します。
光が強くなれば闇も強くなる、という話です。
「信じる」の裏面は、「無関心」という言葉が当てはまります。
現在、ドラマでやってる「ライアーゲーム」というのがあって、原作の4巻で主人公(?)の、
巨大マルチを潰した詐欺師のアキヤマが話したことが印象に残ったので引用したいと思います。
↓ ↓ ↓
人は疑うべきだよ。
多くの人は誤解しているけれど、人を疑うとはつまり、その人間を知ろうとする行為なんだ。
『信じる』。その行為は紛れもなく高尚な事だ・・・
しかしね、多くの人間が『信じる』の名の下にやってる行為は
実は、他人を知る事の放棄。それは決して『信じる』行為ではなく・・
無関心。
無関心こそ疑うよりはるかに忌々しい行為である事に、
多くの人間は気づいていない。
↑ ↑ ↑
このようなことが書かれていました。
「信じる」は「善」、「疑う」は「悪」。
そういう固定観念を多くが持っています。
しかし、実際は「信じる」と「疑う」は対立しないのです。
通常は、「信じる」に行き着くのには、多くの「疑う」という行為の積み重ねで到達します。
これは「成功」に行き着くまでに、多くの「失敗」を重ねてきたエジソンの成功談に類似します。
「信じる」なんて言い換えれば「疑いもしない」ということ。
つまり「本気で知ろうとしない」「突き詰めるつもりがない」「事実はどうでもいい」ということであるわけです。
さて、続きも引用します。
↓ ↓ ↓
俺はかつてとある巨大マルチを潰したときに、その内部の多くのひどい人間を見てきたよ。
だがマルチで最もタチが悪かったのは―
いい事をしてると思い込んで結果人を騙している人間の多い事。
そいつらには人を騙しているという自覚が全くない。
なぜなら、そいつらは自分のせいで相手がどれだけ苦しむかを想像することから逃げている。
完璧な思考停止。究極の無関心状態だ。
疑う事は決して『悪』じゃない。本当の『悪』は、他人に無関心になる事なんだ。
↑ ↑ ↑
アキヤマの語っているマルチは、ストーリー上にあるだけなのでNWとはなんら関係はないです。
ただし、彼と意見が同じで一番タチが悪いのが、
自分は善人だと思い込み、穴だらけの主張で騙している連中だと思ってます。
見たくない人は勝手にしても良いですよ。
そうやって直視しないで、逃げ回って最悪の詐欺師をやってればいいと思うね。
悪意がある奴は大嫌いですけど、そういう善人にも吐き気がする。
マルチで勧誘しておきながら「信じる信じない」なんてことを言うのは、
危険で、無責任で、迷惑な連中です。
何を信じようが自由だが、何を伝えようが自由だとは思わない!
例えば、ただの伝え聞きで伝えているAさんがいたとして、Bさんにそれを伝えたとする。
AさんがウソをBさんに伝えたら、AさんはBさんを騙しているということです。
騙す意志がなくても、事実は立派に騙しているということです。事実はね。
AさんはBさんにたいして、明らかに加害者です。
自覚はないけど騙してるのは、「事実」です。
必要なのは「信じる信じない」以上の判断基準です。
「疑う」ということに必要以上に罪悪感を感じていけないと思います。
確かに「信じる」ということは素晴らしいことです。
世の中の人の全ての人の意見を信じて幸せになれるのなら、そんな嬉しいことはありません。
本気でそう思います。
損得関係のない友人言葉信じることは簡単です。
ですが、損得の絡む話を、一片も疑わないで「信じる」ということは危険だと思いませんか?
信じるのは別にいいのです。でも「他の意見を聞き入れない」ということは異常なことです。
なぜ、片方だけを信じて、片方だけを疑うのでしょうか?
それは、信じているものを疑うことに罪悪感があるからです。
「信じる」のキラキラとしているイメージの裏側の意味は、
ただ「裏を見たくないし、知ろうとする気もない」という「チキン(臆病者)な考え」だとも言えるのです。
「信じる信じない」とか語ってるヤツは「チキンなだけ」です。
このサイトで言っていることは、ガンガン疑ってください。
どれだけ疑ってもらっても構わないと思います。だって隠すものがありませんから。
これは明確に批判ですが、彼らの言い分はどうなのでしょうか?
彼らのは「信じて!」だけです。そして他の情報はクソだと「信じさせる」だけです。
彼らは「疑ってもいいですよ!」なんて堂々と言ってますか?
「インターネット、書籍、全ての批判に目を通しても大丈夫です!」なんて言ってますか?
反論されれば、すぐに「誹謗中傷や粗探し」とか言って自己正当化する。
ただコソコソと「ああいうのは失敗者の逆恨みだから」とか「信じさせている」だけです。
なぜならは、彼らは「チキン」だから。
このような公開された場でコメントなんて残せないんですよ。書いたとしても、すぐ逃げるんですよ。
正直、ここの管理人なんてのは信じなくていいんですよ。
顔も名前も住所もわからないし、(危険だから)教えるつもりも全くありませんから。
そういう意味ではチキンです。
だから、別に信じなくてもいい。
ただ話の内容を、疑い、精査して、参考程度で受け止めていただければいいのです。
素性もわからないから信じない?
実際の素性も経歴もわからない創始者、信じてましたけど何が違うんです?
経歴、不明ですよ?(創始者関係ないとか、言ってますね。)
同じく、GGCの人も大して変わりませんね。
目的もわかりませんし、方向性もわかりませんし、本当の素性もわかりますか?
勝手に妄想してるだけじゃないですか?
そういうことで、チキンだった彼らのすべきことは簡単です。
疑問を投げかける者がいれば、
堂々とデータや根拠を持ち出して反論すればいいんです。
なぜ、自分達の主張は正しいのか、
それを明確にして、反論ができないぐらい正しければいいだけの事。
実際問題、NWの主張していることでアンチでも
「正しいと思える部分」には疑問は噴出することはありませんから。
簡単なことですね。
そうすれば、逆に信頼性があがると思いませんか?
クレームをした人が適切な対応でファンになった、って話よくあるじゃないですか?
これを言い換えると、チャンスじゃないですか!!
「信じる信じない」じゃないです。
「なぜそれが正しいのか」です。
簡単なことですね。
デタラメだとか誹謗中傷だとか言うのであれば、
どこがデタラメで、どのように誹謗中傷なのかを言えばいいだけのことです。
簡単なことですね。
「疑う」というのを言い換えると、「あらゆる可能性を考慮する」ということです。
「想像力がある」ということ、「よく知ろうとすること」です。適度に疑うということは重要です。
そういう裏側があることをお忘れなく。

コメント (4)
やじかずさん!!
ごめんね。**様なんて呼ばれたら、キモイよね。
私、「NWを、パッと捉える感性」とやらを持ち合わせていないばかりに・・・元教師、保育士、看護士などの正義の味方系DTから、素直じゃない!可愛くない!ひねくれてる!可哀想etc.酷い言葉を浴びせられて。
だから、ついつい、黄門様みたいなヒーローを切望する気持ちから、やじかず様と呼んでしまいました。
『自分や他人を幸せにしたい&お金儲けをしよう』と叫ぶNWに対して、この世の中は、私が想像する以上に寛大なのかなあ。
というより、むしろ、もはや『それで幸せになれるのなら、科学的な真偽や実証など要らない、だまされてもいいんだ、だましとおしてほしいくらいだ』と、望んでいる人種が増えてる?!
否、私は、やじかずさんに共感する。
「疑う」のは、私の心が豊かだから!!
うまく表現できないが、
NW信じるのに、証拠なんて要らない、気持ちがあれば良い。
結局、ハマるorハマらないの問題。
投稿者: かぼちゃ | 2007年06月11日 16:36
日時: 2007年06月11日 16:36
信じるのに証拠はいらない、ってその通りです。
「信じる」ってのは、いいことが多くありますからね!大事だよ!(反対な発言?)
それにしても「素直じゃない」とかいうのは、可哀想な人間の発言だね。
昔は、まともな志ぐらいあったのだろうけどね…
自分としては他の人の価値観ってのに文句はないし、多様な方が面白いと思う。
けれど問題なのは彼らはそれでもプロだってこと。
健康と金と環境が全部手に入るっていう理想は好きなんです。
でもあくまで理想で、全然現実がついてきてないから…、ってやっぱ嫌いですわ。
信じてるものが彼らと違うからね…
投稿者: やじかず | 2007年06月13日 01:25
日時: 2007年06月13日 01:25
イイお話でした。
投稿者: ハイパー | 2007年06月20日 09:27
日時: 2007年06月20日 09:27
ありがとう!
投稿者: やじかず | 2007年06月22日 01:25
日時: 2007年06月22日 01:25